今を精一杯に生きろ!熱く!熱く!!

偶成(ぐうせい)


生徒たちと談笑しながら勉強の話をしていた時のことです。本居宣長の『玉勝間』を現代語訳してやろうと、本居宣長は江戸時代に国学を大成した人であると話していたところ、生徒の一人が江戸幕府の官学である朱子学の内容について質問してきました。

 

 

そこで、朱子学を創始した朱熹(しゅき)から説明し始めると、今度は別の生徒が「朱熹と言えば、偶成(ぐうせい)ですよね」と問いかけてきます。

 

「そうそう。少年老い易く…」と答えると、その生徒はそのあとを見事にそらんじてくれました。

 

『平家物語』 『枕草子』 『徒然草』の冒頭を暗唱する生徒は多いですが、「偶成」をすらすらと。これぞ東進生と思わせるような出来事でした。

 

【読み方】

 少年(しょうねん)老(お)い易(やす)く学(がく)成(な)り難(がた)し

 

一寸(いっすん)の光陰(こういん)軽(かろ)んずべからず

 

未(いま)だ覚(さ)めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢 (ゆめ)

 

階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声 (しゅうせい)

【意味】

若者は年をとり易く、学問はなかなか完成しにくい。

だから少しの時間でも軽々しくしてはならない。

 

池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、庭先の青桐の葉には、もう秋の声が聞かれるのである。

すなわち、若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて年をとり、何も学べないで終わってしまう。だから、若いうちから時間を無駄にせず勉学に励まなければならない、ということを言っているのです。

少年時代をすぎた今も池のまどろみの中で春の夢を見ている草のようにフワフワと過ごしている。大丈夫か、俺"(-""-)"

少年時代はキラキラと輝いてあっという間にすぎさって行く。

 

そして学問を成就させるということはいくつになっても非常に難しい。

 

一日一日を無駄に過ごさないことが大事だ。

 

少年時代をすぎた今も池のまどろみの中で春の夢を見ている草のようにフワフワと過ごしているが、庭先の桐の葉はすでに紅葉し、秋の支度をしている。

 

もう冬(人生においての終盤期)はすぐそこに迫っているのだ。大丈夫か俺!?

生徒たちに熱く語る。

 

「一寸の光陰軽んずべからず」というのは、若い時は、なかなかわからないやろ。時間は、いっぱいあると思うからや。流風もそうだった。

 

こういう感慨は、人生の半分以上過ぎた者にしかわからないものかもしれないけれども、後悔した時には、既に遅きに失した感がある」

 

「未だ覚めず池塘春草の夢」の「池塘春草の夢」というのは、「池のほとりの春草が萌え出でた夢」という意味だろう。

 

若い時の希望に溢れた夢も醒めきらないうちに人生が終わってしまう。いつまでも、若い時の夢を持っていても、実現することもない。

 

生徒たちに熱く語る自分がここにいる。自らを鼓舞するように。

(この詩と出会った時、もっと強く肝に銘じておくべきだったよなあぁ~)"(-""-)"

とにかく、今を精一杯に「生きろ!」と

学問に年齢はないという言葉もありますので、気を緩めないでお互い頑張ろう!先生も、もっともっと頑張るからおまえらも頑張れよ!

 

夏は目の前まで来ているぞ!


注意:明治の漢文教科書以降、この漢詩の作者は朱熹とされてきました。しかし近年の研究の結果、どうもこの詩の作者は違う人物らしいということが解ってきました。